平泉世界遺産登録5周年

繁體字網址

いにしえの心、あしたを照らす光

2011年6月、「平泉の文化遺産」は世界遺産に登録されました。
戦乱の焦土から立ち上がり、平和への願いと共に築かれた平泉。
人と人、人と自然の共生を願い、新時代を切り開いたその姿は、
震災からの復興へ向かおうとする、私たちの未来につながっています。
時を超え、国を超え、戦乱を乗り越えて。
世界遺産平泉は、未来を照らす希望の光となります。

世界遺産とは

未来の世代に引き継いでいくべき
人類共通の「たからもの」

 1972 年、ユネスコ総会で「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」が採択されました。
「世界遺産」とは、この条約に基づき、全世界の人々の共有財産として国際的に保護・保全していくことが義務づけられている「遺跡」や「建造物」、「自然」などのことです。
 世界遺産は、下表のとおり3つに分類され、2016年5月現在で1031件が登録されています。
 平泉は、国内で12番目、東北では初となる「文化遺産」です。対象となったのは、中尊寺や毛越寺をはじめとする仏教寺院や浄土庭園など、平安時代末期に奥州藤原氏が築いた、華麗な黄金文化の遺産群。日本固有の自然崇拝思想などと融合した仏教、特に「浄土思想」にもとづき、仏国土(浄土)を現世に表現するためにつくられた独特の事例であることなどが評価されました。

世界遺産の分類と我が国の世界遺産(19件)

自然遺産
学術上、鑑賞上などの見地から普遍的価値のある地形や生物、景観を含む地域
屋久島/白神山地/知床/小笠原諸島
文化遺産
すぐれた普遍的価値を持つ記念工作物、歴史的建築物、遺跡、文化的景観など
法隆寺地域の仏教建造物/姫路城/古都京都の文化財/白川郷・五箇山の合掌造り集落/原爆ドーム/厳島神社/古都奈良の文化財/日光の社寺/琉球王国のグスク及び関連遺跡群/紀伊山地の霊場と参詣道/石見銀山遺跡とその文化的景観/富士山-信仰の対象と芸術の源泉/富岡製糸場と絹産業遺産群/明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー
複合遺産
(日本国内に登録なし)

平泉の歴史とは

長い戦いのあとにつくられた、争いのない理想郷

 歴史の教科書でも知られる前九年合戦、そして後三年合戦。1051年、平泉のある岩手県南、県央地域を支配していた安倍氏と朝廷との争いから始まった長い戦いです。のちに奥州藤原氏初代となる清衡(きよひら)も巻き込まれ、骨肉の争いのなかで父や妻子を亡くしました。

 この悲しい戦いを経て、11世紀末、平泉へ移り住んだ清衡は、敵味方の区別なくすべての霊をなぐさめ、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を実現するため、1105年に中尊寺の建立に着手します。1124年には金色堂、1126年には主要な堂塔が完成。清衡は大法要を営み、戦争のない理想郷をつくりたいという趣旨の願文を読み上げたと伝えられています。

中尊寺建立供養願文より抜粋

この鐘の音は、あらゆる世界に響きわたり、誰にでも平等に、苦悩を去って、安楽を与えてくれる。攻めてきた都の軍隊も、蝦夷とさげすまれ攻められたこの地の人たちも、戦いにたおれた人は昔から今まで、どれくらいあっただろうか。いや、人間だけではない。動物や、鳥や、魚や、貝も、このみちのくにあっては、生活のため、都への貢ぎもののために、数え切れない命が、今も犠牲になっている。その魂はみな次の世の世界に旅立って行ったが、朽ちた骨は今なおこの地の塵となって、うらみをのこしている。鐘の声が大地を響かせ動かす毎に、心ならずも命を落とした霊魂を浄土に導いてくれますように。

口語訳/平泉文化遺産センター館長 大矢邦宣
中尊寺

 二代基衡(もとひら)は、毛越寺の造営を開始し、三代目秀衡(ひでひら)が完成させました。秀衡は、さらに現在の柳之御所遺跡に政庁(平泉館)を整備し、無量光院などを造り上げました。ここまでこぎ着けたのは、膨大な量の産金や北方との交易で得られた大きな利益と、三代にわたる平和社会への強い願いが支えとなりました。

 秀衡は、源頼朝に追われて平泉にやって来た源義経を庇護していました。しかし秀衡臨終後の1189年4月、四代泰衡(やすひら)は、頼朝の圧力に屈して義経を自害に追い込みました。さらにその直後、頼朝は、鎌倉から大群を率いて平泉に攻め入り、奥州藤原氏を滅亡させたのでした。

 その後、建物の多くは徐々に焼失し、庭園は田地に変わりました。しかし平泉の人々は、遺跡を良好な状態で守り続け、宗教儀礼や民俗芸能等とともに今日に伝えてきました。

毛越寺
平泉-仏国土(浄土)を表す建築庭園及び考古学的遺跡群
  • 中尊寺
    ■中尊寺(ちゅうそんじ)

    初代・清衡によって12世紀の初めから、約25年もの歳月をかけて造営されました。全盛期には40にも及ぶお堂や塔などがあったと伝えられ、金色堂を始め、建築や絵画など3,000以上もの国宝や重要文化財が現存。境内全域が特別史跡に指定されています。

  • 毛越寺
    ■毛越寺(もうつうじ)

    二代・基衡が12世紀中頃から造営に着手し、三代・秀衡の時代に完成。浄土庭園と南大門跡などの伽藍遺構がほぼ完全に保存されており、往時の面影を偲ぶことができます。1月20日は常行堂で修法が行われるほか、法楽として「延年の舞」が奉納されます。

  • 観自在王院跡
    ■観自在王院跡(かんじざいおういんあと)

    二代・基衡の妻が建立したと伝えられる寺院跡。ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は、平安時代に書かれた日本最古の庭園書「作庭記」に基づいて作られたと考えられています。

  • 無量光院跡
    ■無量光院跡(むりょうこういんあと)

    三代・秀衡が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡。建物の中心線は金鶏山と結ばれており、その稜線上に夕陽が沈む様子に極楽浄土を重ね合わせた、浄土庭園の最高傑作と言われています。

  • 金鶏山
    ■金鶏山(きんけいざん)

    中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する円すい形の山。頂上には経塚があり、「平泉を守るために黄金の鶏が埋められている」とか、「秀衡が一晩で築いた山」などの伝説が残っています。

ページTOPへ